2015年05月13日
なぜ塾に行く必要があるのか?(4)
シリーズの4回目です。
塾の講師からすると学校の先生って本当に大変な仕事だと思います。
例えば・・・
1クラスにレベルのバラバラな30人以上の生徒がいる。
教科書はボリュームアップしたのに、授業時間は、ほぼ「ゆとり時代」のまま。
決められた教科書、指導要領に原則として従った授業しかできない。
事務・雑務や部活(中学)などに追われ授業にだけ集中できない。
ようやくカリキュラムに慣れてきたころに、文科省が方向転換しちゃう!
などなど…
このような厳しい条件の中で安定した結果を出すには
「公式」は、ある意味で効率的な教授法だと言えます。
理解力に差があっても機械的に数値を当てはめれば
とりあえず答えが出る(出てしまう)からです。
さらに学校ではカリキュラム(スケジュール)上、
以前学習したことと混合したり関連付けたりして考える時間がほとんどありません。
終わった単元は小テストをして次の単元に進まざるを得ません。
例えば「割合は5年生」で「分数の掛け算・割り算は6年生」で学習します。
すると、学校でしか勉強していない生徒は割合を分数で考えることが苦手になります。
1%を0.01と考えることも間違いではありませんが、
1/100と捉える方が中学数学では圧倒的に有利な場面が増えます。
ところが、このような学年・単元を横断的に捉える場が学校にはあまりないのです。
なんだか単年度会計と縦割り行政で行き詰っている政治の世界の固定観念が、
文科省を通じて学校現場に降りてきているようでもあります。
このようなしがらみを気にせずに単元、学年などを越えて指導できる点が、
塾が持つ大きなメリットではないかと思っています。
(今シリーズは今回でいったん最終回になります。)
塾の講師からすると学校の先生って本当に大変な仕事だと思います。
例えば・・・
1クラスにレベルのバラバラな30人以上の生徒がいる。
教科書はボリュームアップしたのに、授業時間は、ほぼ「ゆとり時代」のまま。
決められた教科書、指導要領に原則として従った授業しかできない。
事務・雑務や部活(中学)などに追われ授業にだけ集中できない。
ようやくカリキュラムに慣れてきたころに、文科省が方向転換しちゃう!
などなど…
このような厳しい条件の中で安定した結果を出すには
「公式」は、ある意味で効率的な教授法だと言えます。
理解力に差があっても機械的に数値を当てはめれば
とりあえず答えが出る(出てしまう)からです。
さらに学校ではカリキュラム(スケジュール)上、
以前学習したことと混合したり関連付けたりして考える時間がほとんどありません。
終わった単元は小テストをして次の単元に進まざるを得ません。
例えば「割合は5年生」で「分数の掛け算・割り算は6年生」で学習します。
すると、学校でしか勉強していない生徒は割合を分数で考えることが苦手になります。
1%を0.01と考えることも間違いではありませんが、
1/100と捉える方が中学数学では圧倒的に有利な場面が増えます。
ところが、このような学年・単元を横断的に捉える場が学校にはあまりないのです。
なんだか単年度会計と縦割り行政で行き詰っている政治の世界の固定観念が、
文科省を通じて学校現場に降りてきているようでもあります。
このようなしがらみを気にせずに単元、学年などを越えて指導できる点が、
塾が持つ大きなメリットではないかと思っています。
(今シリーズは今回でいったん最終回になります。)